ベレニケ様生誕祭2012~
見えない星(1)

アトラスがアベル様から与えられた休暇を2日足らずで終わらせてしまった。……あとに続く私達の立場も考慮してもらいたいものだ。コロナの聖闘士筆頭であるあの男が全ての基準である以上、私やジャオウまで一日しか羽を伸ばせない事態になりかねんというのに。

やはり神話の時代からの転生ともなると現代における基礎知識は相当疎い。互いに知識交換しているにもかかわらず相も変わらず気遣う対象がお一方だけの現状に、いささか寂しさと言うか一抹の不安を覚える。(いず)れは外界へ赴くはず。その時に問題を起こさねば良いのだが……。

「ベレニケ、〔休暇〕とやらは足りそうか?」
「十日も頂戴し恐縮に存じます、アベル様」
「……アトラスは私のためとは言え、一人で自由に過ごせる時間を一日のみで終わらせてしまった……。お前もそうするつもりか?」
「お言葉ですが……アベル様から賜ったものを無下にするような真似など、私には出来かねます」

穏やかなディグニティヒルの午後。日課の鍛錬と見回りを済ませた私は、竪琴を弾き終えられたアベル様からお声を掛けられ、忌憚無き心境を申し上げた。

「それを聞いて安心した。……アトラスは私の事を優先させるあまり、己に犠牲を強いている気がしてならないのだ。気持ちはありがたいのだが外部の者と接触した際、何も起こらねば良いのだが……」
「恐れながらアベル様がお心を痛める事態など、アトラス自ら引き起こしましょうか? 私如きには想像も付きません」

やはりアベル様もアトラスの事を心配しておいでだったか……。今宵にでも我が神のお考えを伝え心配の種を取り除かなくては。おちおち休んでもいられん。

「そうだな……私の杞憂であろう……。ところでベレニケ、行く当ては有るのか?」
「一先ず聖域へ……知己に会おうかと考えております」
「そうか……」

アベル様から聖衣を持参するよう言われたものの聖域(あそこ)では目立ち過ぎる。布を巻いたところで聖衣箱相当の物を背負っていれば、看破されるのは時間の問題だろう。そこで私は試行錯誤の末、一工夫凝らし当日に臨んだ。


休暇初日。ディグニティヒルに優しい陽光が降り注ぐ中、何時も通り沐浴を済ませ軽く朝食を口にする。アベル様の私室にて出立の挨拶を済ませコロナ神殿を後にした。崖を降りればそこは聖域。勝手知ったる何とやらで南東へと歩を進めれば、以前と変わらぬ風景が私を出迎えてくれた。周りに草の一本も生えていない荒地に、粗末な木製の平屋――聖闘士になるため聖域へと飛び込み……アベル様と出会うまで私の世界の全てだった場所。

感慨に浸っていると不意に背後から攻撃を仕掛けられる。咄嗟に片手の荷物を放し、繰り出される拳をなぎ払う。見返すと見慣れた姿――蒼が差す翠の瞳と日光に晒され赤味がかった短い金髪、実年齢より幼びた面立ち。そして少し日に焼けた肌と程よく筋肉が付いた身体。男は幽霊でも見ている様な顔つきで私を凝視していた。

「…………ベレニケ……か?」
「ああ。久しいな、サフィオール」
「お前、生きていたのか!? それならそうと何で手紙の一つもよこさないんだ! 突然姿を消したから心配して方方捜し歩いたんだぞ!!」
「それは悪かった。色々あって連絡もろくに取れぬ状況で……本当に済まない」

師こそ違えど同じ〔立場〕のせいで私達は異端視されていた。だがサフィオールは他人と距離を置く私を何かと気遣ってくれた。始めこそ興味本位かと邪険に扱っていたが……接触を繰り返しているうちに何時しか気の置けない仲となり、同じ屋根の下――かつて奴の師弟達がいた場所で暮らしていた。置き手紙の一つも残さずに立ち去った事を心の底から後悔した。軽く頭を下げ謝罪の言葉を口にすると、幾度も頭や身体を小突かれ力の込もった抱擁を受けた。これでは流石の私でも身動きが取れない。

「生きてたんだな……ベレニケ。本当に良かった……」
「男に抱きつかれて、喜ぶ趣味は無いのだが」
「相変わらずつれないな、お前は。死んだと思ってた悪友に再会できたんだ。このくらい我慢しろ」

いい迷惑だと言い返してやろうかと思ったが、肩に額を乗せた声が僅かに震えている事に気付き喉元まで出ていた言葉を飲み込む。大げさだと思った台詞は、あながち嘘ではないのかもしれない。私と違いお人よしで面倒見の良いこの男が、鍛錬の合間を縫ってはこっそりと東奔西走していたのかと思うと、胸の奥が熱くなった。